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Artとは・・・
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 年々不景気になり、借金払いもいよいよしんどくなった時、運良く新しい道路の話が飛び込んできた。
工房の真上の山に道路を築くため、割木置場や駐車場などの敷地が買い上げられた。
景観は悪くなったが、父の代からの借金がほとんど消えた。
妻が妊娠、2002年には個人事業として独立、これからは地道な活動を・・・と思った矢先、離婚以来精神分裂症の兄が手がつけれなくなり入院した。
いろんな問題を抱えながら6月に長女誕生。
仕事の方は相変わらず、コンクールは落選続き、売り上げは減る一方だ。
世の中は同時多発テロからイラク戦争などますます荒れてくる。
そんな中でも我が家はラッキーだと思う。
作家名も「康和」から「庚和」にかえた。深い意味はない。ただ画数が良いらしい。
「庚」はイネを両手に持ってモミ落としをする様を表わし、「康」はそのモミがこぼれ落ちるほどの実りを表わしている。
有り余るほどでない、ちょうどよいギリギリ感、けっこう気にいってる。
 















オブジェ
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1995年、阪神大震災、地下鉄サリン事件と世の中が不安な中、4月の窯出しにおいてお見合いをした。
もの静かなメガネっ娘、その日ほとんど会話せず、日を変えてデートした。
彼女はすごく繊細だ。文学好きで洋裁しながら宗教哲学などを勉強していた。
世間的に言えば変わっているが一時の感情などに流されない確固たる自分を持っていた。
恋愛感情なきスタート、これからどうなるのか?それが魅力だった。
幾多のハードルを超えて97年5月に結婚した。
彼女との付き合いで僕の仕事も少し変化した。
表現するものが自然なものからもっと深い根源にあるものを求めた。
 









もともと宗教がなければ芸術は存在できない。
人はなぜ生き、なぜ死ぬのか それを考えない所に美学はない。
芸術家はおのれの生涯を通してそれを表現する。
「ライフそのものが芸術」、大学時代アル中の教授が酔ったときにはく口癖が頭の中にしみ入る。










オブジェ1996〜1999
 1994年4月、親父が急逝した。相続の都合で桜谷窯の経営者を母にして存続した。
多額の借金を残し、ほとんどスッカラカンだったが、たくさんの人たちの支援を受け、なんとか持ちこたえた。
名前を本名の康治から康和にかえた。親父の死の記念に何か変えて再スタートしたかった。
「康」という発音は僕というイメージが出来ているので、「治」を「和」に変えるだけにした。
「和」という字にはあこがれがあった。親父の名前の中にもあったが、日本的で平和なイメージが好きだ。
これで名前も芸術家っぽくなり。仕事に対する考え方も変化していった。
今までは備前焼というイメージの中だけでの表現だったが、開放的で自由な表現をめざした。
作品はオブジェが主で、自分の思いをストレートに形にした。
コンクールには積極的にだしたが大半は落選、だが懲りもせず、使命感のようなものを感じた。
桜谷窯の経営の方は雑器を中心に徐々に広がりはじめた。表現の上ではもう捨て去った備前焼の名も商売上ではまだまだおいしい名前であった。

 









オブジェ1994〜1996

 素材はかなり吟味した。備前の粘土というより近辺の山土から粘土質の多いところを集め、溶かしてケーキ用のこし器にかけたたりして作った。
耐火度は高くないがキメが荒いので粘りがなく大変使いにくい。
だがスアナ(登窯の前の窯から後ろの窯へつなぐアナ)などで焼くと見事な青色窯変がでた。
これは備前焼を超えた究極の陶の道に思えた。
しかし失敗や駄作もかなり多く、土の質も安定しないし、経費もかかる。
それにもう高価なものが売れない時代に入ってしまった。


                       

      

      

                                               1992〜1994 茶入 茶碗 水指



 茶陶とは茶道に基づいた陶器だ。その芸術は日本の歴史に伴い、日本文化の代表みたいなものだ。
それ故現代人にとっては非常に窮屈な世界である。
しかし備前焼などの伝統的なやきものにとって基本みたいなもので、この世界に入れば必ず茶の心得があるかどうか問われるのだ。
はっきり言って僕には茶の心得はない。興味はあったが縁がなかったのだ。
それに茶の芸術は茶道の中にはない。そもそも華開いたのは戦国時代、明日をも知れぬ命で戦う武将たちの一服の薬に己の生き方とセンスを研ぎ澄ませ、最高のものを求めた芸術なのだ。
それは現代作家がどれほど努力しても到達できるものではない世界である。
僕のイメージからすれば戦国ドラマの中で、武将たちが酒を酌み交わす如く、無作法ながらも切れ味のある飲み方、それに合った道具、器である。
お世話になっているお茶の先生のところでお茶をたてて頂いた。「好きなようにおいしく飲んでください」その一言に茶の芸術の本質を感じた。
約束事と言うのは心得のようなもの、大事なのはいかに楽しく、おいしくお茶を飲むかである。
そして茶室や茶道具はそれを演出するための小道具である。
そういう訳で僕は単なるイメージだけで茶陶を作っている。


     

                

     


                                                             1989~1992 茶碗 茶入 水指


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