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Artとは・・・
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自分の作りたいものだけを作り、時々陶芸体験に来られた人たちを指導したりして細々とやっている。収入のための作品作りはほとんどなく、ただ目の前ことを一つずつこなして行くだけ。これがまた妙に充実感がある。
今焦って無理に何かをやろうとしても多分疲れるだけだろう。世の中はエネルギー不足もあって全てが自粛ムードだし、・・・。






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昨年の震災以来まともに仕事をしていない。物を作っても売れないのも理由のひとつだがそれより物という存在の虚しさとでもいうのであろうか・・・。芸術そのものに情熱がなくなった訳でもないのだがとにかく物自体に抵抗を感じるようになった。僕らは物を通して表現をしている。しかし自分の思いや考えがストレートに人に伝わっている実感がない。でもそれが当たり前の世界であり、社会的に価値のない物が人に感動をあたえるなど至難の技だろう。だが逆に考えれば物に価値がなくなって初めて見えてくるものがあるはずだ。これだけ物が溢れ出し、どんどん価値も下がり、不景気な上に自然災害、世界不況の中、最後に人が求めるものは思いやりだとか優しさだとかではないだろうか。今自分に出来ること、自分の価値を捨て人のために出来る仕事をすることから始めよう。
さ、では、とりあえず、これから奥向きの仕事を・・・。
 知佳の1周忌が過ぎ、このブログを始めてもうすぐ1年が来る。
過去を振り返ることで今の自分の位置を確認し、これからをどう生きるべきかを考えた。
人の死は常にそのきっかけをつくる。
人の死によって自分が生かされていることを認識できる。
この度の東日本大震災によってでたたくさんの犠牲者そのすべての死にも必ず意味があり、生かされた人々はそれを糧にし、生きていくだろう。
それにしても人の創造物なんて、なんともろいものだろう。
この大自然にとって人間の作った物など全く価値のないことを思い知らされる。
だいたい価値そのものが人間の我欲が作りだした妄想にすぎないのか・・・。
その妄想によってどんどん巨大化していく欲と創造物、どれだけ行けば人が幸せになれるのか全くきりがない。
原発なんかこの状況では最も危険な粗大ゴミみたいだ。
でもそれは僕にも言えること。価値のあるものを作ろうとして結局粗大ゴミをたくさん作ってしまった。
そろそろ古い価値観を捨てなければならない。
本当に価値があるのは人の「思い」とか「愛」、またその奥に・・・。

 本物か偽物かなんていかにもお宝的感覚で問われているが、芸術的表現の場においてはそんなことどうでもいいことなのだ。
また、モノの価値観にとらわれると表現の枠がますます狭くなり、自由がきかなくなるのだ。
人の立場も同様、それによって自由が束縛されてしまうのだ。
伝統などというのは価値観の継続にすぎない。
価値観を守ることは、その消滅を恐れることにつながり、目的を見失ってしまう。
たとえば自分のスタイルを守ることに専念しすぎるために、本来何のためにやっているのか分からなくなってしまうようなものだ。
真に自由な芸術を求めるためには全てを無に戻した状態から始めるべきだろう。
その状態になって見える事、感じる事、思う事などストレートに表現できれば最高だ。
そうなればきっと、それに触れる人たちに自由を感じてもらえるはずだ。
たぶんそれが芸術の目的なんだ。

 備前焼作家としてスタートして27年、今では自分が何ものなのかよく分からない。
とりあえず食べていけるようにと備前焼を作ってはいるが、自分のやりたいこと、やるべきことはもう備前焼の中にはみあたらない。僕の仕事の中では備前焼は単なる素材にすぎない。
べつに備前焼自体が嫌いな訳ではない、ただ備前焼という名の商業的イメージが嫌なのだ。
やり始めの頃は備前焼というだけで訳も分からんうちに売れていったものだ。
備前焼の土はあと数年でなくなってしまい、高価なものになると信じられていたみたいで、その後焼き物ブームと骨董ブームがゴッチャになって、買ったものが何年か先に値打ちが上がると思われていたのだ。
なぜそうなったのかよく分からないが、そのためにどんどん作家が増えてしまった。
備前焼は伝統産業と言っても代々伝授されたような難しい技術はほとんどない。ただ窯の扱い方が分かり、あと予算さえあれば誰にでも出来る焼き物なのだ。
当時は安物は売れないとされ、モノの価値を上げることばかり考えていたものだ。
ただ値段を高くする訳にはいかず、素材の工夫、燃料、箱等かけれるだけの経費をかけたものだ。
今思えば芸術とはほど遠いことをしていたと思う。でもそれは僕にとって一つの経験としてプラスになっている。
考えてみればこのブームをつくったのは終戦の音を聞いた世代だ。日本の高度成長と共に豊かになったが新しい世代の文化にはなじめなかった。
多分皆この世代の要望に応えるためにモノ作りしたのだ。
今になってはもうそれは通用しない。
僕は未来、若い世代のために仕事をしたい。
聞くところによると備前焼が地域ブランドとして特許庁より認定されたそうだ。そのためにある一団体のみが備前焼として販売する権利を持つらしい。それになんの意図があるのかよく分からないが、僕としてはもうしばらく備前焼の旗を揚げていたい。
もしだめなら偽備前焼・・・ってことになるのかな。









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