Artとは・・・
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これまでの過程を経て自分の生き方、行くべき道がなんとなく見えてきた気がする。
今この折り返し地点に立って思うこと、それはいよいよ人生の答えを探し出すこと。
これまでの作品は全て未完成あり、その答えを求めるための道しるべに過ぎない。
これから更におのれが真に「自由」の身でなければならない。
その状態とは、全ての現象に対して恐れを抱かないこと。
守るものをもたず、失うことをも受け入れ、全てを必然とし、常に良きことだけを思う。
それが出来ていれば、人の心を豊かにできる真の芸術は発現するはずだ。
今年2010年2月、僕は姪を亡くした。
多分我が一族では一番優秀な子であったろう。
死因は不明だが、状況から見て自ら死を選んだようだ。
彼女は1年ほど前からうつ病にかかり、病院にもかかっていたが、周りの誰かに悩みを打ち明けることはしなかった。
僕は彼女の幼少時から自由な生き方を教えてきたつもりだった。
だがそれ故に、周りからの期待や担うべき社会的立場とかいうものを背負い込み、その重みに耐えられなかったのか。
結局これまでの僕の未完成の芸術では彼女を救えなかったのだ。
彼女は桜谷窯のホームページを作ってくれていた。
彼女の生と死は、これからもぼくの芸術につきまとうだろう。
でもそれはきっと僕の芸術の完成へ導く鍵となる。
今この折り返し地点に立って思うこと、それはいよいよ人生の答えを探し出すこと。
これまでの作品は全て未完成あり、その答えを求めるための道しるべに過ぎない。
これから更におのれが真に「自由」の身でなければならない。
その状態とは、全ての現象に対して恐れを抱かないこと。
守るものをもたず、失うことをも受け入れ、全てを必然とし、常に良きことだけを思う。
それが出来ていれば、人の心を豊かにできる真の芸術は発現するはずだ。
今年2010年2月、僕は姪を亡くした。
多分我が一族では一番優秀な子であったろう。
死因は不明だが、状況から見て自ら死を選んだようだ。
彼女は1年ほど前からうつ病にかかり、病院にもかかっていたが、周りの誰かに悩みを打ち明けることはしなかった。
僕は彼女の幼少時から自由な生き方を教えてきたつもりだった。
だがそれ故に、周りからの期待や担うべき社会的立場とかいうものを背負い込み、その重みに耐えられなかったのか。
結局これまでの僕の未完成の芸術では彼女を救えなかったのだ。
彼女は桜谷窯のホームページを作ってくれていた。
彼女の生と死は、これからもぼくの芸術につきまとうだろう。
でもそれはきっと僕の芸術の完成へ導く鍵となる。
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2009年5月キングオブロック、忌野清志郎が亡くなった。中学時代からのファンである妻が連日涙した。
それ以来毎日のように清志郎の歌が工房に響き渡る。
追悼本も何冊か購入、妻との会話で清志郎の名が出ない日はない。
しかし彼を知れば知るほどその生き方や、感性に深く共感を覚える。
結局芸術家が表現するものは「愛」とか「平和」とか「夢」だとかすごく単純なものだ。
それを何者にも縛られない「自由」の中で自分なりに表現すれば良いのだ。
この夏ウクレレを買った。
毎日清志郎をうたっている。
「金もうけのために生まれたんじゃない」。僕の場合ますます貧乏になる気がする。
だから宝くじは当てたい。
僕が求めている芸術は・・・「愛」・・・「神」・・・?
陶彫
それ以来毎日のように清志郎の歌が工房に響き渡る。
追悼本も何冊か購入、妻との会話で清志郎の名が出ない日はない。
しかし彼を知れば知るほどその生き方や、感性に深く共感を覚える。
結局芸術家が表現するものは「愛」とか「平和」とか「夢」だとかすごく単純なものだ。
それを何者にも縛られない「自由」の中で自分なりに表現すれば良いのだ。
この夏ウクレレを買った。
毎日清志郎をうたっている。
「金もうけのために生まれたんじゃない」。僕の場合ますます貧乏になる気がする。
だから宝くじは当てたい。
僕が求めている芸術は・・・「愛」・・・「神」・・・?
陶彫
芸術家がするべきことは古い価値観を守ることではなく、新しい価値観を作り出すことだ。
カッコいいセリフだが、実際何から始めてよいのか分からない。
そんな時、2006年のユーモア陶彫展の募集要項を見て何か引き寄せられる光を見た。
テーマは「笑い」。今までは「宇宙」とか「真我」とか小難しいテーマで人に分ってもらおうと努力してきたが、この気が抜けたような癒し系は何だ。
今このギクシャクした世の中にピッタリであり、そしてきっと自分の求めている世界に通じている気がした。
形はテーマを見た瞬間に思いついた。模型までは簡単に作れた。
運よく審査に通り、本展に向けて大きくするのに苦労した。重くて持ち運びが大変だったし、大きくすれば小さな模型に比べ、カワイさが薄れてしまう。
それでも本展では優秀賞を頂き、とても感謝しています。
それからは陶彫を主に仕事をしてる。
コンクールには相変わらず落ち続けているが、いつか分かってもらえると信じ出品し続けようと思っていた。
ところが不景気を理由に次々にコンクールがなくなってしまい、新鋭作家の発表の場がなくなってしまった。
いまさら偏った公募展等に出す気もなく、いよいよ地道な活動しかない。
陶彫
カッコいいセリフだが、実際何から始めてよいのか分からない。
そんな時、2006年のユーモア陶彫展の募集要項を見て何か引き寄せられる光を見た。
テーマは「笑い」。今までは「宇宙」とか「真我」とか小難しいテーマで人に分ってもらおうと努力してきたが、この気が抜けたような癒し系は何だ。
今このギクシャクした世の中にピッタリであり、そしてきっと自分の求めている世界に通じている気がした。
形はテーマを見た瞬間に思いついた。模型までは簡単に作れた。
運よく審査に通り、本展に向けて大きくするのに苦労した。重くて持ち運びが大変だったし、大きくすれば小さな模型に比べ、カワイさが薄れてしまう。
それでも本展では優秀賞を頂き、とても感謝しています。
それからは陶彫を主に仕事をしてる。
コンクールには相変わらず落ち続けているが、いつか分かってもらえると信じ出品し続けようと思っていた。
ところが不景気を理由に次々にコンクールがなくなってしまい、新鋭作家の発表の場がなくなってしまった。
いまさら偏った公募展等に出す気もなく、いよいよ地道な活動しかない。
陶彫